読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

その都市伝説を殺せ 第三章

その都市伝説を殺せ・リンク

第一章 第二章 第三章

 

sonotoshidensetuwokorose.hatenadiary.com

 

 

□二十一話

 

 自身に迫ってきたものを、両手で押し退けている。そのように見える姿勢で、和義は目を覚ました。慌てて辺りを確認するが、黒い化け物も自分の生き写しも見当たらない。
(夢見が悪かっただけだ)
 そう自分に言い聞かせて、落ち着こうとした。しかし、自宅周辺から感じる異様な気配が、新たな動揺を生んでしまう。感知した霊力は二つで、どちらも祖母の姿形をした亡霊とは違う気配だった。
「一体何なんだよ!!」
 怒鳴り気味に言い放つと、急いで達也に電話をかけた。

 「それは、早紀ちゃんが付けた護衛。お前が霊能を持つ前から、ずっと側にいたぞ」

 朝に弱いのか、気怠るそうな声が返ってきた。その態度に苛つきながら、和義は「昨日まで何も感じなかった」と伝える。
「知るか。れーかんが強くなったんじゃねぇの?」
 欠伸混じりにそう言うと、電話は切れてしまった。
 その直後に、悪夢の話をし忘れた事に気づく。
 携帯を持ったまま佇む彼の心中に、漠然とした不安が広がっていった。

 

 身支度を整えて、すぐに家を出た。しかめっ面を俯かせて登校する彼の脳裏には、今尚悪夢の残像がある。「お前に決めた」という言葉が、どうしても引っかかっていた。(何を決めたんだ? そもそも意味のある夢なのか?)と、歩きながら考え続ける。
 気懸かりな要因は、他にもあった。──霊視や千里眼と呼ばれる──探知能力が、急激に強まっていた事だ。今朝目を覚ました時には、感知出来る範囲・精度が大幅に上がっていた。 
 化け物や生き物の気配は、一昨日から感じ取れた。
 [皮膚感覚が体外の空間へと拡張されていき、その見えない皮膚に触れたものを把握できる]というようなイメージをすれば、対象の位置や力の強弱が分かる。
 また、無機物との距離間も計れる様になっている。
 肉眼で化け物を視認することも、二日前から出来た。これまでは、殆どこの方法で化け物の存在を確認してきたのだが、1.0ある視力の範囲内で捉えていたに過ぎない。
 だが今は、望遠鏡でも覗いているかの如く、遙か遠方まで知覚できるほど視力が上がっており、遠距離にいる化け物を易々と捉えられる。
 悪夢を見た後に突如として備わったのが、視界外の映像を脳裏に思い浮かべる能力だった。今なら視認せずとも、護衛と呼ばれた化け物達の姿を、明瞭に知覚できる。一定の距離を保ちながら付いてくるニ体の化け物は、体から炎を噴き出している大鼠と、鎧の付喪神だ。
 それら霊視能力の強化が、昨夜の悪夢と無関係だとは考え難い。達也や早紀に相談しようと思いながら、彼は足を急がせた。

 

 学校に着くと、和義は達也を校舎裏に連れ出した。
 達也は、「確かに、霊力が上昇している。けど、夢との関係は分からない」と言う。続けて「俺より、早紀ちゃんに相談した方が良い」と口にしたところで、予鈴が鳴り響いた。
 一時限目の授業が始まる寸前になっても、校内に彼女の気配を見つけられない。訝かしむ和義の耳に、「休みがちだからなぁ」という呟き声が届いた。

 

 

□二十二話

 

 一限目が終わっても、和義は早紀の霊力を捉えることが出来なかった。(欠席が多いとは聞いていたが、何も今日休まなくても)と、八つ当たり気味に思ってしまう。
 授業には身が入らず、不安と苛立ちを覚えながら日中を過す。
 帰りに早紀の家に寄ろうと、彼は決めた。

 放課後になり、急いで階段を降りていた和義は、達也に呼び止められた。
 しかし、何かを言おうとしていた達也が、突然誰もいない方向に顔を逸らす。視線の延長線上には駅があり、その周辺に気配を感じ取ったのだ。
 殺気を帯びた三つの霊力が、北西方向から街中に侵入してきた。それらを迎え打つように四つの霊力が出現すると、次の瞬間には全ての気配が消え去ってしまう。
 唐突な展開の連続に、和義は理解が追いつかない。
(俺には想像もつかない何かが、この街で起こっている…)
「今のは、最近街を荒らしてる化け物の手下だ。お前には、護衛がいるから安心して帰れ。駅辺りには、近づかないようにしろ」
 いつもより早口で喋り終えるのと同時に、達也の肉体や身に付けている物全てが、墨で塗り潰したように黒一色となる。
 そうして影法師の如く姿を変えた刹那、和義に返事をする間も与えず、忽然と姿を消してしまった。
 更に複数の気配が、現れては消えていく。達也の霊力も凄まじい速度で移動していき、異変が起きている場所に着くと、全ての気配が感じ取れなくなった。

 

 

□二十三話

 

 和義は、早紀や達也の身を案じていたが、彼自身も精神的に追いつめられており、人に気を回す余裕が無くなりつつあった。山田家の面々や家族との歓談で、少し気が晴れたと思っていたら、昨夜の悪夢と化け物の襲来である。
(しかも、友人達が化け物と戦っているだと? 馬鹿馬鹿しいにも程がある…)
 そう思っていなければ、恐怖から叫び出したくなる気持ちを抑えきれなかった。(殺意を持った化け物達が、自分を標的にしたらどうする?)という思考に陥ってしまうからだ。
 「彼を守っている」と言われた化け物の存在も、あまり気持ちの良いものではない。
 鎧の付喪神は、ニメートル近くもある巨躯だ。鎧の内部は空洞で、兜・胴体・小手・すね当て等が宙に浮かんでいる。濃紫の霊気を体中から放ち、地面より数センチ上を滑るように移動してた。
 獅子に迫る体長と、恐ろしい形相を持ち合わせている大鼠は、猛獣と言っても違和感がない。
 この化け物達は、和義と口を交わすつもりが無いようだ。
(早紀が寄越したというが、信用に足る存在なのか?)
 彼は、複数の霊力を感じ取った場所から、離れるように進路をとった。普段は使わない道を早歩きしていると、雑木林を分断する薄暗い小径に入る。放棄された林なのか、細い木々が雑然と広がっており、どこか気味の悪い場所だった。
 突如、胸騒ぎを覚える。火急に行動を起こさなければと、何故か気が逸るのだ。ただ、具体的にどうしたらいいのかが分からない。
 焦りがやがて恐怖となり、その変化に伴って足を早め、遂には走り出す。
 林から抜け出す寸前になっても、何も起こらなかった。
(もう少しで出られる)
 そう思い気を緩めた瞬間、全ての景色が塗り変わった。

 

 

□二十四話

 

 日中にも拘わらず、頼りない月明かりだけが唯一の光源となっていた。
 また、あらゆる音が消えている。それまで微かに聞こえていた車の走行音はおろか、草木が風に揺らされてざわめく音や、虫の鳴き声も途切れたままだ。
 いつの間にか和義は、小径すら無くなった竹林のど真ん中に突っ立っていた。
 胸騒ぎが、最高潮に達する。
 そして、右半身に何かが触れていると気づいた。ねっとりとした感触が体の表面を這い回るので、思わず恐気を催す。
 冷静になろうと努めていた彼の視線が、おもむろに右側へと向けられていく。
 眼前に広がったのは、信じ難い光景だった。猛獣のような三体の化け物が、和義の体を舐めるように見つめていたのだ。独特の嫌らしい目付きから、狐だと分かる。野生動物の狐とは違い、古い絵巻物や妖怪図に載っているような横長の目をしていた。無理矢理引き裂いたようにも見える口はだらしなく開き、異常に発達した爪からは殺傷能力の高さが窺える。
 体の形はどれも似たようなものだが、両端の二体は黄褐色、真ん中の一体は濃い朱色の毛色をしていた。真ん中の狐だけが三メートルを優に越える体長で、他のニ体はその半分程度しかない。悪狐・野狐・妖狐・化け狐と…様々な呼び名を持つこの妖は、人間が最も出会いたくない部類の化け物だった。

 

 放心している和義を尻目に、ニ体の護衛が悪狐達の前へ立ち塞がる。
 出し抜けに、火鼠と鎧の付喪神が霊力を急上昇させると、周囲一帯に火の粉が舞い始めた。
 これまで一切口を利かなかった火鼠が、恐ろしい金切り声を上げる。その鳴き声を切っ掛けにして、和義は弾かれたように走り出した。頭の中に直接響き渡った声が、彼を心底震え上がらせたのだ。
 追い打ちを掛けるように、更なる不測の事態が起こる。目で見ずとも離れた場所の状況を、粒さに捉えられる筈だったが、一定の範囲内しか感知出来なくなっていた。
 とりあえず彼は、化け物達から少しでも離れようと、暗闇の中を駆けていった。群生した竹が邪魔をするため、何度も転びそうになる。そうして懸命に走ったが、見えない壁に行く手を阻まれてしまった。
 透明な壁の外側には、陽光に照らされた雑木林や道路が見えた。ほんの一メートル先に、数分前まで彼が存在していた世界がある。壁は、直径二百メートル程ある半円球の一部で、和義が捕らわれた閉鎖空間をドーム状に覆っているようだ。内外で明暗がはっきりと分かれているため、二枚の風景写真を無理矢理くっ付けたかのような光景が、前面に広がっている。
 また、地面や竹など内側の世界にある全てのものは、外側の世界にある自然物や人工物とは、根本的に違うものだった。砂の一粒までにも、霊気を感じるのだ。それらをよく見れば、光源の方向を考えると有り得ない場所に影が出来ていたり、平塗りされた絵のような色彩をしている。
 後方では既に、熾烈な争いが始まっていた。和義は焦りながらも、出口はないかと探る。そうして化け物達の側にある不可視の境を、離れた場所から霊視した時に、違和感が芽生えた。内側の世界の道と外側の世界の道が、綺麗に繋がっている部分がある。(あの場所からなら、抜け出せるかもしれない)と、何故か思えたのだ。
 とはいえ、化け物達が殺し合いをしている側まで、ノコノコと出向く気にはならない。
 早紀から、このような現象の説明を受けていたのだが、彼は適当に聞き流していた。「異界」や「境界」という言葉だけは思い出せたものの、肝心の内容を忘れてしまった。
 (そうだ、電話で連絡を取れないか)と思い、ようやく携帯を取り出すも、アンテナは立っていない。
 結局彼は、護衛の化け物達をただ見守る事しか出来なかった。

 

 

□二十五話

 

 当初、双方の戦力は伯仲しているかに見えた。火を纏う鼠はその鋭い牙と素早い身のこなしで、鎧の付喪神は大振りの力強い剣撃で応戦する。
 だが護衛の化け物達は、段々と守勢に追い込まれていった。
 悪狐三体分の霊力に対して、護衛ニ体分の霊力は六割程度しかない。それを思うと和義は不安になったが、「何か策があるんだろう」と希望的に考えて、恐怖を押さえ込もうとした。
 火鼠と鎧の付喪神は、和義の元に敵を向かわせないよう立ち回っていたため、戦術も大きく制限された。それを見抜いた悪狐達が、フェイントを仕掛けたり巧みに連携したりして、着実に追い詰めていく。
 ニ体の化け物が分断されてからは、更に敗色が濃くなる。
 火鼠は、爪の一閃をかわすも背後から噛みつかれ、肉をごっそりと食い千切られてしまった。
 ところが欠損した部分が、立ち所に再生されて元通りとなる。
 化け物の体は、物質で出来ている訳ではない。霊的な力なら傷付けられるが、そうして出来た傷も霊力が残っている限りは回復する。ただし、霊力が尽きる程ダメージを受けてしまえば、体を維持出来なくなり滅んでしまうのだ。

 護衛の化け物達は死にもの狂いで戦ったが、状況は悪化の一途を辿っていく。奮闘虚しく、事態が好転する要素はどこにも無かった。
 そして、決定的な瞬間を迎える。滅茶苦茶に振り回された悪狐の爪の一薙ぎが、火鼠の横腹を深く切り裂いた。同じタイミングで、鎧の付喪神も背後から押し倒される。
 その後は、只々悲惨としか言い様のない光景が繰り広げられた。手負いの火鼠は、小刀に似た爪で容赦無く切り裂かれて、獅子と見紛う巨体も徐々に小さくなっていく。
 地面に押しつけられて抵抗出来なくなった鎧の付喪神も、堅牢な甲冑が少しずつ分解されていった。和義は、助かる見込みもなく、ひたすら責め続けられる化け物達の姿から、自分の未来の姿を想像した。
 遂に火鼠が、断末魔の叫び声を上げながら滅んでしまった。霊力が尽きて、体を再生出来なくなったのだ。剥き出しの魂だけが、その場に残る。止めを刺した朱色の悪狐が、嫌らしい笑みを浮かべたまま魂を食らった。
 やがて鎧の付喪神も、火鼠と同じ運命を辿る。
 ニ体の化け物が消滅すると、辺りに舞っていた火の粉が無くなり、空が若干明るくなった。

 

 

□二十六話

 

 狐共がゆっくりと和義のいる方を向き、目を細めた。嫌らしくニヤニヤと笑いながら、何事かを相談している。どんな話をしているのか、彼には見当がついてしまった。「俺に、アイツを食わせろよ」と、そんな台詞が容易に想像できるのだ。
 唐突に彼は、野生動物の補食動画を思い出した。何の抵抗も出来ずに、生きたまま臓物を食われる草食動物。襲った肉食動物がきちんと止めを刺さないから、息絶えて楽になる事も出来ない。痛みと恐怖に顔を歪ませ、苦しみ抜いて死ぬしかない。
 悪狐達は、わざと時間を掛けながら、逃げ道を塞ぐように迫っていった。無力な獲物が取り乱す姿を、望んでいるのだろう。そうした意図に気づくまで、和義は命乞いでもしようかと思っていたが、何をしても無駄だと直ぐに悟った。
 悪狐達と和義との間にある距離が、二十メートルを切る。背後には透明な壁があり、最早逃げ場がない。
 彼は思う。やはり命乞いの他に、出来ることは何も無い、と。そして惨殺されるのだろう、とも。
 にじり寄る化け物達を間近から見て、叫び声を上げそうになった瞬間、少し離れた場所から耳をつんざくような凄まじい音が響いた。境界を、何者かが破壊したのだ。
 土煙の中を黄味がかった白い光が突き進み、悪狐達に直撃して吹き飛ばす。
 侵入者が、和義と悪狐達との間に割って入った。
 その後ろ姿を見た途端、和義は自分が置かれている状況を、全部忘れてしまうほど驚愕した。それは、死んだ筈の親友、篠原一馬の姿だった。
「どういうことだ!? テメェッ」
 思わずといった感じで、悪狐が怒鳴り声を上げる。この声は、敵味方関係なく頭の中に響き渡った。唖然としている和義に、一馬が命じる。
「そこから逃げろ」
 先程の爆発で境界に開いた穴が、塞がり始めていた。
「お前、なんで…」
「いいから早く、死にたいのか!!」
(一馬も穴から出て、一緒に外へ逃げるつもりなのか?)
 そう考えた彼は、動揺しつつも穴の外に向かって走った。
 今度は一馬の心中にしか届かない声で、悪狐達が喚き散らす。
 和義が壁の外に出ると、穴は急速に塞がり始めた。
「一馬! 早く!」
「さっさと家に帰れ。後で俺も行く」
 この声が発せられた刹那、現実世界と異界が完全に隔てられた。時を置かずに異界内部で大きな土煙が起こり、争い始めた事が分かる。
 一馬を手助けする方法はないかと和義は考えたが、何も思いつかなかった。
 短い間だけ迷うも、このまま留まっていても良い事はないと判断する。そうして彼は、雑木林を走りだした。
 足を止めずに、ポケットから携帯を取り出す。
 だが電話を掛ける前に、再び捕らわれてしまった。先程までいた異界とは、別の異界に。

 

 

□二十七話

 

 まばらな雑木林が、樹間の狭い鬱蒼とした森に様変わりしている。
 そのような景色の変化に気を取られる余裕が、和義には無かった。三体の悪狐が目の前に現れて、彼を食い入るように見つめていたからだ。先程遭遇した悪狐達とは、姿形が若干違う。だが、体躯から溢れ出てている禍々しさは、全く同種のものだった。
 真ん中に立つ銀色の悪狐は、体長が三メートル以上もあり、上半身が異常に発達している。二本足で立ち上がり前傾姿勢をとっていて、熊の爪を数倍大きくしたような鉤爪を持ち、猫科の猛獣を思わせる鋭い牙を剥く。もはや狐の要素が顔以外には見当たらず、その身体的特徴からは純然たる暴力行為を想像させた。
 左右にいる悪狐の体長は、銀色の悪狐の半分程度しかない。向かって左側の白い悪狐は、有らぬ方向を見て口の端から舌を垂らし、意味もなく首を傾げたり振ったりしている。
 右側の黒い悪狐に至っては、自分で噛み切った舌を食べていた。舌を再生させては、また噛み千切って食べる、といった行為を繰り返す。
 このニ体の周囲には、毛と同色の火の粉が舞っており、その量が徐々に増えていく。狂態と相反して、全身を守るように包み込む火花だけは、気高く厳かな雰囲気を纏っていた。
 白い悪狐の口端から、人間の指が突き出ている事に彼は気づく。よく見れば、口元が僅かに血で塗れている。
 今回の遭遇では、長々と考えたり感じたりする暇が与えられなかった。突如、左半身に激しい衝撃が走ったかと思えば、いつの間にか地面を転がっていたのだ。体を突き抜けるような痛みから、喘ぐように声を漏らす。頭の中が苦痛と恐怖で埋め尽くされて、他の事を考える余裕は微塵も無くなった。
 彼は、左肩にある裂傷を見て、自分が切り裂かれた事をようやく理解する。熱く感じる傷口の近くを押さえて、少しもがく。
 それから痛みのあまり、大きく伸びをするような姿勢になった。のたうつ動作に強い苦痛が伴う事を知ってからは、無意識の内に我慢しやすい姿勢を取る。意味も無く動いて更なる痛みを作り出さないように、目の端に涙を溜ながら、歯を食いしばって硬直する。彼がそれほどの激痛を感じるのは、生まれて初めての事だった。
 痛覚が一時的に麻痺し出すと、本能的に体を丸めようとした。だが、顔の間近に狐火を叩きつけられたため、体をビクッとさせて反射的に起き上がり、なり振り構わず走り出す。それを見た悪狐達が、腹を抱えて笑い出した。
 しかし、和義は嬉しかった。短時間だけだとしても、化け物達から離れられるのだから。
 何も考えずに、ただただ走り続ける。次の痛みから逃れる事しか頭には無く、パニック状態に陥っていた。
 悪狐達の目には、彼の態度がよほど滑稽に映ったのだろう。木々を滅茶苦茶に切り裂いて威圧し、卑しく笑いながら獲物を迫い立てた。
 和義が脱兎の如く走っていられたのは、僅かな間だけだった。全力疾走していたため、直ぐさま息を切らして走る気力も尽きかける。そして朦朧とした頭ながら、まだ追い付かれないのはおかしいと思い始めた。
 その疑問に答える声が、彼の頭の中に届く。
「おい」
 和義が左手に気配を感じて、そちらに顔を向けようとした瞬間、鋭い爪で胸を一突きにされた。信じられないと言いた気な面持ちで、彼は刺し傷を凝視する。爪は左胸を貫通しており、早くも瞳にあった光が消え始めた。短い間隔の痙攣を繰り返した後、徐々に脱力していく。
 数秒して、完全に動かなくなった獲物を、巨躯の悪狐が藪へと放り投げた。振り返り「今の反応見たか?」と言って、仲間たちに笑いかける。
 白い悪狐が、胸を貫ら抜かれた真似をしてふざけ始めた。ケタケタ、ヒュウヒュー、ギィギィと笑い方は三者三様だが、性根の腐った声質だけは共通していた。

 

 

□二十八話

 

 悪狐達の和義に対する関心は、瞬く間に失われてしまった。先程殺した人間よりも、それをネタにした冗談の方が大切なのだ。もう少しすれば、「あぁ、そういえば忘れていた」と言わんばかりに、打ち捨てられた肉体や魂をおどけながら食い出すのだろう。ただし、今この瞬間、人一人の生死については無関心なのだ。それは、殺された人間にとって、最大の侮辱だった。
 やはり白い悪狐が、「獲物を喰い忘れた」と笑いながら悪ふざけを始めた。にや付きながら、和義が放り投げられた藪の方へ近寄っていく。
 まだおどけ足りないようで、「死体の顔に、小便でも引っかけてやろうか」と言い出した。そうして、下卑さが滲み出ている顔を、何気なく藪の中に突っ込む。
 刹那、黒い炎が噴火したように轟々と吹き上がり、悪狐の頭部に纏わりついた。時を移さず、異界の全景に変化が起こる。地面に傾斜がついて陽は沈み、瞳のような満月が天上から化け物達を見下ろす。麓には湖が出来上がり、水面に月を写していた。日が暮れかけている鬱蒼とした森から、深夜の山腹といった景色に様変わりしていく。
 白い悪狐の顔面が、焼き爛れてしまった。首の上に炎が張り付いて藻掻き苦しむ姿は、まるでおどけている様だ。
 巨躯の悪狐は、既に臨戦態勢をとっていた。異変に感づいた直後、焼かれ始めた仲間を無視して、後方に飛び退いたのだ。
 しかし逃げ遅れた黒い悪狐は、投げつけられた黒い剣に口から後頭部を貫かれていた。刀身も、鍔も、柄も、全てが歪つな形をしていて、薄気味悪い炎で出来ている剣を、必死に抜こうとしている。その姿は、一種滑稽でもあった。
 更に笑いを取ろうというのか、口から火を噴いて道化の様な素振りを見せると、黒い悪狐はピクピクと前後に体を揺らす。ゆっくり、ゆっくりと振り返って、巨躯の悪狐と目があったところで、落ちをつけるかのように顔面を爆散させた。その後、破裂した頭部を何度も再生させようとしたが、何故か失敗して死に至る。
 白い悪狐も、既に鬼火となっていた。
 滑稽にも残酷にも思える死に様は、先程の和義の姿を彷彿とさせた。
 最後の一体となった悪狐が、疑問を抱く。同族を葬った攻撃が、体を再生させないほど強力だったとは思えない。負傷箇所を再生させないためには、対象の全霊力と同じくらいの力が必要になるのだ。
(それに殺した筈の獲物からは、先程まで何も感じなかった)
 巨躯の悪狐は、和義が特殊な力を隠し持ち、道化を演じていたのだと結論づけた。
 黒い怪火が、火勢を衰えさせずに燃え残っていた。それらは、蛇の様に地面を這いながら、藪に入り込んでいく。
 その炎を見ていると、巨躯の悪狐は例えようの無い嫌な気分になる。(目を背けてきたもの)という言葉が、何故か脳裏に響いた。
 炎が辿り着いた場所で、黒い人影がゆらりと立ち上がった。体の輪郭や顔の造形を隠すように、どす黒い炎を纏っている。たなびく火先は無数の人魂の尾であり、消えた側から次々と立ち現れた。
(敵が自分に見向きもせず棒立ちとなっている今、勢いに任せ圧殺してしまおうか)
 巨躯の悪狐はそう考える一方で、葬られた仲間の死因が気に掛かり、中々行動出来ずにいた。
 黒い怨霊もまた考えていた。自身の体から溢れ出る負の感情を、どう発すればいいのか、を。

 

 

□二十九話

 

 怨霊の片方の瞼だけが、僅かに震える。深い創傷が体内の肉を晒すように、右瞼が段々と開かれていき、紅く美しい瞳が現れた。
 両手に握られた道化共の魂を、見せつけるように食らいながら、横目で巨躯の悪狐に視線を送る。

 狐と怨霊の目が合った。

 瞬間、黒い像が掻き消える。これまでの緩慢な動きとは打って変わり、怨霊が残像を作る程の速さで襲い掛かったのだ。走りながら右手に多くの人魂をかき集めて、黒い炎の剣を作り出す。接触する数歩前で飛び上がり、勢いにまかせて袈裟がけに得物を振り降ろした。
 悪狐は、咄嗟に姿勢を低くしたので、浅い傷しか負わずに済んだ。間を置かずに、攻撃しやすいよう体勢を変化させると、負傷したままの左手で迅速に反撃する。
 四度ほど剣と爪を打ち合わせられたが、五度目に怨霊が力負けしてしまい隙を作った。剣を持った右腕が、強い衝撃のせいで上方に弾かれたのだ。すかさず悪狐が大振りの攻撃を放とうとしたが、怨霊は反射的に木の幹を蹴り、その反動を利用して飛び退いた。
 空振りした悪狐が、体勢を崩した相手に畳みかけようと突進する。ところが、顔面に向かって剣を投げつけられたため、自身の勢いを殺すしかなくなった。すんでの所で首を捻り、何とか直撃は免れる。
 怨霊の手には、既に新しく作り出された剣が握られていた。
 悪狐の動きが止まる。
 両者共に体勢を立て直した。攻め口を見出そうと睨み合いながら、相手の一挙手一投足に気を配る。

 再び目が合った。

 怨霊が、一歩前に踏み出す。それを切っ掛けにして両者とも距離を詰めると、一定の距離を保ったまま、再び斬り合い始めた。
 面前に迫る炎の一閃をいなしながら、巨躯の悪狐は内心でほくそ笑む。相手の体から発せられている霊力の総量は、自身が発っしている量よりも少ないと感じたからだ。 身に纏う力の量は、残量の範囲内で自由に決められるため、自身の強さを隠しながら戦う事が出来る。わざと少なく見せかけて、駆け引きの材料に使う化け物もいた。ただ、今向かい合っている相手はそういった知識だけでなく、飛行できる事すら知らない可能性が高いと、巨躯の悪狐は推察した。
 剣撃は速いが、力任せの低い技量。無闇やたらに飛び跳ねて、多くの隙を作る。リスクを取って接近したにも拘わらず、効果的な攻撃をする前に自ら距離を置く。怨霊の戦い方は、あまりに素人然としていて、場数を踏んでいないと強く思えるものだった。
 また、怨霊が付けた傷口から、体内に毒が流れ込んでいる事にも気づいていた。
(馬鹿め。この程度の毒は、即座に解毒できるんだよ)
 死んだニ体と巨躯の悪狐では、霊力の差が非常に大きい。化け物の使う能力や術は、それを受ける側の力が高ければ高いほど、効き辛くなっていく。
(相手は毒が悪化するように持久戦を狙ってくるだろうから、霊力を徐々に下げていって、自分が弱ったと勘違いさせる。そうして敵が油断したところを、全力で不意打ちしよう)
 このように、悪狐は大まかな段取りを立てた。

 

 

□三十話

 

 怨霊は、どんな僅かな隙も見逃さずに、少しでも傷を付けようとした。反撃されて逆にダメージを負うこともあったが、軽傷ならば瞬時に完治してしまう。
 悪狐が半円を描くように大きく薙ぐも、紙一重で避けられてしまう。そのまま前のめりになってしまい、再び顔面に剣を投げ付けられるが、事前に注意していたので難なく回避する。
 その後も斬撃の応酬は続いたが、手加減したままの状態でも善戦出来たため、悪狐は敵を過大評価していたのかと思い始めた。
 徐々に追い詰められていく怨霊は、自ら仕掛けた剣撃の殆どを凌がれるだけでなく、手痛い反撃を受ける様になってきた。そうした劣勢が続いても、行動に大きな変化が起こらない。
 やはり相手に余力はないと、悪狐は判断する。
(持久戦に付き合ってやる積もりだったが、その必要はなさそうだ)
 こう判断した悪狐は、出し惜しみを止めて襲い掛かった。
 大振りな攻撃をした場合、動作の終了前後に生まれる隙が悩みどころとなる。だが、反撃を差し込まれない程の速さで攻め続けられるのならば、問題は無いのだ。悪狐にはそれが出来る上、相手が後ろに仰け反ったり、反撃し難い体勢となるよう巧みに爪を動かせた。
 これまで深手を負わないように凌いできた怨霊だったが、遂に脇腹を大きく抉られてしまう。続けて体当たりをされると、数メートルほど後方に弾き飛ばされた。そのまま樹木に叩きつけられて間もなく、渾身の力を込めた鉤爪が振り下ろされる。剣で防ごうとするものの、得物を持った右腕が切り飛ばされてしまった。ところが怨霊は、隻腕になった事を意に介さず、左手で新しい剣を作り出すと、機械的に反撃し始めた。

 一気に勝負を決めようとする悪狐は、肉を切らせて骨を絶つといった攻め方になった。決して浅くない傷を負いながらも相手に詰め寄り、脇腹や太股の一部、そして顔面の半分までもを爪で削ぎ落としていく。
 そのまま勢いに乗って滅ぼそうとするが、驚愕に目を見開いてしまう。不敵に笑った怨霊が、自身の倍以上の早さで傷を再生させたからだ。千切れた腕すら、既に生え替わろうとしている。次々と想定外の行動を取る敵に、悪狐は薄気味悪い感情を抱いた。
 とはいえ、怨霊が劣勢である事に変わりはない筈だった。治癒した分の霊力が、しっかりと減っているからだ。

 悪狐の腹を一閃した怨霊が、相手の背後へ回り込む。その傷は浅く、致命傷には程遠い。
 振り向こうとした悪狐は、これまでに受けてきた剣撃と同じリーチを想定する。常に霊視を行っているので、視界の死角から迫り来る剣の軌道も分かっていた。
 ところが回避に失敗して、逆袈裟切りにされてしまった。いつのまにか、怨霊が扱う武器の形状が、大きく変化していたためだ。これまで片手で持っていた剣が、長くて幅が広い刀身の両手剣になっている。加えて、攻撃する寸前に刃の長さが伸びていた。
 当然、回避のタイミングも全く違ってくるので、この伸縮自在の斬撃は一定の効果を上げた。

 

 

□三十一話

 

 ただし怨霊が優位を保てたのは、僅かな間だけだった。当初は有効だった大剣での攻撃も徐々に対応されていき、軽傷を負わせるのが関の山という状態となる。それにも拘わらず、馬鹿の一つ覚えのように同じ戦法が繰り返された。
 悪狐は、勝利を疑わない。
 危険な水準まで消耗している事にようやく気づいたのか、怨霊の動作に焦りの色が見え始める。掠りもしない剣撃が増えており、回避の失敗も目立ってきた。がら空きとなった腹部を突き刺さされると、怨霊が初めて声を出した。
「お前は誰かを殺す時、何とも思わない口か?」
 この言葉を聞いた悪狐は、嬉しさのあまりニタァと顔を歪めた。
(霊力不足から、傷の治癒が遅れている。腹の穴も開いたままだ。唐突に喋り出したのも、どうせ時間稼ぎだろう)
 刺さったままの爪に、一層の力が加えられていく。怨霊が話し出してから過ぎた短い間にも、霊力は回復し続けていた。その回復分を削ぐように、傷口が広げられる。
 悪狐が、勝ち誇って喋り出す。
「何だ、今更命乞いか? これまでも虫ケラみたいに殺してきたし、これからもその積もりだ。それが、どうかしたか?」
 この声を聞いた怨霊が、「だとよ」と何者かに話しかけた。「誰と喋ってんだ」と言って、悪狐が笑う。ニ体の化け物が優越感に浸った直後、悪狐の肩に亀裂が入った。最初に負わされた傷が、今頃になって開いたのだ。
「お前、殺し過ぎだよ」
 更に、完治した筈の傷が次々と開き出した。
 悪狐が、予想外の出来事に驚いて直ぐさま飛び退く。そして、状況をうまく飲み込めず、恐慌状態に陥ってしまう。
 膨れ上がった不安や焦りから、一気に方を付けてしまおうと考えたが、刺すような鋭い視線を感じた。
(敵がいる正面とは、別の方向から見られている…)
 しかも、ごく間近からだ。
 視線を遡った先には、肩の傷口から飛び出している灰色の顔があった。
 どう反応したらいいのか分からず呆然としていた悪狐が、蹴り飛ばされて地面を転がった。頭上から、冷厳とした声が降って来る。
「殺した者の魂。遺族の怨念」
 その言葉の意味を理解する時間が、悪狐には与えられなかった。肩以外の傷口からも数多くの亡霊が飛び出して、自身の顔を覗き込んできたからだ。
 亡霊達が絶叫する。際限の無い憤怒の叫び。それらを聞いていると、これまで行ってきた殺しの情景が、悪狐の脳裏に浮かび上がってきた。
 怨霊の体に向かって、亡霊達が怒濤の如く押し寄せる。人格のない怨念すらも、その流れに加わっていた。灰色のそれらが黒い炎に触れると、自らの体も黒く染まり同化していく。
 隻眼が、怪しく光り出した。
 怨霊の霊力が一気に上がっていくのを、悪狐は感じ取る。そして、「解毒出来ていなかった?」と、逃避気味に独りごちた。今更ながらに反撃し始めるも、体が様々な不調をきたして思うように動かない。
 怨霊に付けられた傷は、外見上治癒した様に見えても、完全には塞がっていなかった。その傷から体内に毒が侵入すると、まずは軽い麻痺などの自覚症状が出る。症状自体は一度消えてしまうが、それは完治したと騙すために他ならない。
 蓄積した毒は、食われた所為で体内に拘束されている亡霊を探し出し、自由にして霊力を分け与える。そうして力を蓄えた亡霊達は、体内の霊力を根こそぎ奪うと、孵化するように体外へ脱出するのだ。
 悪狐の体は、麻痺して動き辛くなった上に、霊力の回復量も激減していた。力なく爪を突き出すが、逆に胸を突かれてしまう。尚も組み付いて行動の自由を奪おうとしたが、腹を膝で蹴られて這いつくばった。
(毒が回った状態で、無闇に攻め続けるのは暗愚だ)
 窮状に陥った原因を、直ぐにでも取り除かなければいけない。そういった緊急性については、悪狐自身もよく理解していた。だが、具体的な方法を何も思いつかないので、惰性でも動き続けるしか無かった。駄々をこねる子供のように、幾度も手を突き出し続ける。
 怨霊がそれらを全て紙一重で避け、自身に迫る両腕を切り落すと、真っ黒な霊力が噴水のように吹き出した。
 次に悪狐は、形振り構わずに逃げ回りながらも、何とか境界を破壊して外に逃げようとした。しかし、それを試みる度に、異界の真ん中へと投げ返されてしまう。怨霊が、みすみす逃がす筈もない。それでも即座に立ち上がって、醜態を晒し続けた。
 命乞いをしても、効果が無いのは明白だ。皮肉にも今の悪狐の心境は、和義が死にもの狂いで逃げ回っていた時の心境と、全く同じものだった。
 不意に、肩を掴まれた。そう認識した時には、悪狐の体が宙を舞っていた。下から何本もの剣が投げつけられ、容赦なく体を貫いていく。程なく地面に叩き付けられると、弱々しいうめき声を上げた。歩く事すらままならずに痙攣する姿は、風に吹かれるゴミ袋の様だ。
 僅かな抵抗も許されず、地を這うだけの存在に向かって、怨霊がゆっくりと近づいていく。悪狐は、微かに残った霊力を、全て回復に当てていた。惨めに逃げ回りつつも時間を稼ごうとするが、執拗に追い立てられ、体の一部を削がれてしまう。それから、欠けた部位が再生するまで放置されて、またゆっくりと追かけ回された後、怨霊の気が向いた時に少しだけ切り取られた。
 怨霊は、緩慢な追い駆けっこに飽きてしまった様だ。今猶、活路を開こうともがき続ける悪狐に対して、最後の言葉を投げかける。
「後悔しているか?」
「許し」
 同時に発せられた二つの声が、合図となった。存在を維持するのに最低限必要な霊力が、悪狐の体から抜け出していく。やがてその力は、竜巻のような暴風となって、怨霊の掌に向かい始めた。
 命乞いをする事すら許されず、だらしなく口を開いたまま地に伏せる悪狐。
 灯滅せんとして光を増すように、霊気の渦が一時的に大きく膨らんだ。大剣を持った怨霊が、その螺旋の中を突き進む。前進する度に、恨みを持った亡霊達や怨念が、剣と一体化して絶叫を上げた。
 止めの一撃が振り下ろされようとした時には、殆ど全ての力を吸い取っていた。敵から奪った力と怨霊自身の力が、死に体の化け物に襲いかかる。既に事切れる寸前だった哀れな狐は、自身が作り上げた怨毒の炎を、その身で受け止めた。