その都市伝説を殺せ 第二章

その都市伝説を殺せ・リンク

第一章 第二章 第三章

 

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□八話

 

 薄暮の寂しげな夕陽が、人気の少なくなった校舎を包み込んでいる。時折響く部活動の物音や声だけが、生徒の存在を確認させた。ただ、そうした喧噪すらも段々と消えていくので、学校が眠りつつあるようだと和義は思った。

  一人しかいない教室で小説を読みながら、彼は時間を潰している。説明を押し付けた少女に用事があるため、一時間ほど待ってから北校舎の屋上に行けと、達也に言われたからだ。

 達也は、化け物関連の話をするつもりが無いらしく、授業が終わるとすぐに帰ってしまった。
 和義は屋上に来る筈の渡瀬早紀と幼なじみで、母親同士もまた、幼い頃からの付き合いがある。彼女の母親は、藤村家の隣の家に住んでいる老夫婦とも懇意にしていた。
 小学校の高学年に上がると、男女の間に明確な境が出来たため、和義と早紀は序々に距離を置いていった。
 彼女は、今でも老夫婦の元を訪れるので、和義とも顔を合わせる事がある。
 彼の渡瀬早紀に対する印象は、[少し困った人]だ。オカルト趣味に傾倒しており、不気味な人形などを多数所持しているという。
 しかし彼は、(そういった行為には、何か理由があるのかもしれない)と思い始めている。
 備え付けの時計を一瞥すると、和義は立ち上がり教室を後にした。

 

 

□九話

 

 和義の通っている高校には、向かい合った二つの校舎があり、各学年の教室は南棟に特別教室などは北棟にまとめられている。
 彼は、北棟に向かうため渡り廊下を通っていた時、花壇の側に[異様なもの]を見かけた。ただ、何を以て異様だと認識したのかが、すぐには分からなかった。
 一人の女子生徒が、中庭から彼を見つめていた。彼女の姿形は、早紀にそっくりだ。それでも和義は、話しかけようという気にならない。
 夕陽で分かりづらいが、よく見ると髪の色が違う。早紀は黒髪、中庭の少女は茶髪だ。面持ちもまるで違った。感情表現が乏しい早紀とは対照的に、懇願するような強い情動が、少女の顔に色濃く表れている。
 また、どんな人間でも生来持っていて、ごく自然に表れる生々しさの様なものが感じられない。その一方で、強い意志がある事も分かる。生き物を模した作品…といった印象を持つ。
(早紀に似せた人形みたいだ)
 見慣れた顔が、見慣れない表情を浮かべている。おどろおどろしい容姿でなくとも、形容しがたい恐怖心が生じた。
 思わず距離を取ろうとした彼の頭の中に、彼女の呟き声が伝わった。
「早紀を信じて」
 その声音には、懇願と非難の感情が入り交じっている。和義は狼狽して咄嗟に「えっ」と声を漏らしたが、瞬きをする間に少女の姿は消えてしまった。

 

 

□十話

 

 屋上に続く階段室の扉は、安全対策のため施錠されていた。和義は早紀の携帯の番号を知らないので、立ち尽くしたまま途方にくれてしまう。
 達也が電話番号を知っているかどうかを確認するために、スマホを取りだそうとした時、ガチャリと音が聞こえた。
 僅かな間、鍵穴を見つめたまま硬直する。それから、(屋上の扉の鍵を、外側から開錠できるものなのか)と首を捻った。
 少し気味悪く思うも、一呼吸置いてからドアノブを回す。
 扉を開けると、頬を撫でるような風が吹き抜けていった。外気の流れや穏やかな西日のおかげで、彼は心地のいい開放感を得る。
 だが、その感覚はすぐに失われてしまった。外側からは鍵の開閉が出来ない扉だと、気付いたためだ。一転して、朱い陽の光や生暖かい風の流れを怪しいもののように感じ始め、それらが恐怖を彩る背景としか思えなくなった。
 彼は、不安げな面持ちで視線を彷徨わせると、安全柵の近くに渡瀬早紀の姿を捉えた。
 ブレザーの制服を着た長い黒髪の少女と、目が合う。
 色白で細やかな肢体、女性にしては高い身長。控えめに笑って、ゆっくりと歩き出す。中庭で出会った少女と違って、恐ろしい印象は微塵もない。
 開錠された扉と安全柵との間には、長い距離があった。彼は疑問を口に出そうとしたが、それを遮るかのように少女が話し掛けてきた。
「びっくりしたでしょう? 突然、色々なものが見えるようになって」
 口を閉じると、相手の反応を伺うように返事を待つ。高校二年生の割には、大人びた仕草だった。
「驚いたよ。ほんと」
 そう答えて、ぎこちなく笑う。オカルト趣味に没入していく早紀を、和義は内心で非難してきた。今日は、その非難してきた内容について、教えを乞わねばならない。
 ばつが悪くなった彼は、話をどう切り出そうかと逡巡した。
 まずは、中庭で出会った少女との関係を訊くことにする。幼なじみとしては、二人の少女の接点が気に掛かっていた。
(けど、あの女子が早紀本人だったとしたら、訊いた途端に態度が豹変するかもしれない…)
 懸念を抱きながらも、彼は人形に似た少女の情報を恐る恐る伝えた。
「絵美に会ったんだね」
 物憂い表情になってそう呟くと、彼女は黙り込んでしまった。
 和義は、物心がついた時から早紀を知っている。けれども、姉や妹の存在など聞いたことがない。そっくりな二人の関係を尋ねていいものかどうか迷っていると、ある憶測に辿り着いた。
「あの子はね、私の妹だよ。一つ下の。藤村君は、会った事なかったね」
(ヤベェ、地雷踏んだ)
 心の中でそう吐き棄てた後、和義は直ぐに話題を変えようとした。(隠し子か何か。そうでなくても、無闇に踏み入って欲しくない事情があるんだろう)と考えたのだ。ところが早紀は、予想外の方向へ話を進め出す。
「私達にしか見えない子なんだ。霊能がない人には、見えない」
「それは」
 咄嗟に声を出したが、次に何を言おうか迷う。
(昨日から、言葉に詰まってばかりだな…)
 数日前までの彼がこんな話を聞いたら、「マジかよ!! スゲェな!! じゃあな!!」と言って、そのまま帰ってしまっただろう。だが中庭に佇んでいた少女は、明らかに普通の人間ではなかった。少なくとも、瞬く間に消え去った事だけは確かだ。
 和義の困惑した顔を見て、早紀は妹の話を打ち切った。
「ごめん。自分の事だけで大変な時に」
 彼女が、申し訳なさそうな面持ちになって言う。
「いいよ、別に」
 早紀の顔に緊張の色が表れているのを、和義は見て取った。長年の付き合いがある彼には、感情の機微がよく分かる。
 ただ、「自分の事だけで大変」という言い方に、少し引っ掛かりを覚えた。彼は、何か相談に乗って欲しいのだと感づいたが、絵美の話は改めてすることにして、身の安全の確認を優先しようと決めた。
 この後、和義は超常世界の話を聞きつつも、渡瀬早紀と[オカルト]との関わりを思い出していった。

 

 

□十一話

 

 渡瀬家の人間は、先祖代々街の北部に住み続けてきた。この家筋には、若くして命を落したり、消息を絶つ人間が多い。早紀の母親も、十年近く前に忽然と姿を消したまま、行方が杳として知れなかった。
 早紀の母方の祖父母は変死したと、和義も聞いている。
 人々は、死や失踪の理由に疑問を持ち続けた。そのため、「渡瀬の人間は呪われていて、その多くが行方不明になるか、不審死を遂げている」という噂も残り続けたのだ。
 不幸の一方で、この家筋の人間は経済的に不自由をしない。その幸と不幸の組み合わせが、近隣住民には理解出来ず、不審や妬みの感情がどんどん募っていった。
 渡瀬家は気味悪がられ孤立していき、いつしか「渡瀬に憑いている化け物によって、親しくした者も呪われる」という噂が、一部で囁かれるようになった。
 「二十一世紀にもなって、呪いはないだろう」と、和義は考えていた。ところが、呪術の類を大真面目に信じる人間は、思いの外多いのだと気づかされる。言葉を変え、形を変えても、根本的な性質は変えずに、呪いは彼らの住む街に厳然と残っていた。
 早紀は今、父親と二人暮らしをしている。だが、父は子に関心を示さず、親子関係はうまくいっていない。
 彼女は、幼い頃から霊が見える等と周囲に話していて、母親が消息を絶った後は、超自然の世界に一層心を奪われていく。最近は大分落ち着いてきたが、数年前までは精神的に不安定だった。
 今では、霊がどうのこうのと主張しなくなった。だが、彼女の家は人形で溢れ返り異様な状態になっていると、和義は母親伝てに聞いていた。

 

 

□十二話

 

 心配そうに、早紀が口を開く。
「化け物が見える様になったのは、昨日からだっけ?」
 (さっきの言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうだな)と、和義は思った。
「うん、昨日から。悪いんだけどさ、少し教えてくれない? 俺、こういうのに疎くてさ」
「教えるのは問題無いけど、どこから話せばいいかな」
 彼女は、自分の足下を見ながら考え込む。視線は当てもなく動きだし、和義と目が合ったところで静止した。そして無言で顔を向かい合った後、どちらともなく笑い出す。
「まさか、こんな事になるとは思わなかった」
「まさかね」
 そう言った後、僅かに間を置いてから説明が始まった。
「超自然的な存在…化け物の事は、思想や生活環境によって、各々が勝手に解釈してる。今からする話も、私自身の主観が入ってると思う。それを念頭に置いて、話を聞いてくれる?」
 和義は、短く頷いて先を促す。
「化け物はね、それを必要としている人だけが、見えるんだよ」
「必要としている人?」
「そう。日々の生活を送っていくのに、必要な人だけ。そういう人が化け物を信じると、見えるようになる」
 和義の顔に、怪訝な表情が浮かんだ。
「よく分からないな。別に必要となんかしてないし、昔から信じてなかった」
 早紀は、顔に表れてしまった哀憐の情を引っ込めると、和義の発言を無視して話を進めた。
「たまたま悪夢を見てしまったり、不幸な出来事が身の周りで起こると、人は少しだけ化け物を信じやすい状態になる。時間が経てば錯覚か何かだったと、大抵の人は納得する。でも連続して悪夢を見たり、不幸に見舞われたりすると、非常に信じやすい状態となる。化け物を信じられるかどうかは、偶然がどれだけ重なるかによっても違ってくるんだよ」
 和義は、一馬を殺した犯人が異常な死に方を遂げたので、化け物を信じ易い状態になったのかと思ったが、何かをはぐらかされた気もした。

 

 

□十三話

 

 和義の胸から足下までの間を、早紀の視線がゆっくりと往復する。彼女は、顔色を伺いながら話していた。馬鹿にされたり激高さ
れたりしないか不安なのだ。一馬が死んだ直後の荒れ具合を知っていれば、それも仕方のない事だった。
「死んだらどうなるの?」
 平静の態度で質問されると、彼女は胸をなで下ろして語り始める。和義は、複雑な気持ちで耳を傾けた。たった一日で、死生観まで変えなければならない。
「意志の疎通が出来る幽霊、出来ない人魂。死後は、そのどちらかになる。条件は分からない。数で言えば、人魂が圧倒的に多い。おそらく、未練が強いかどうかが関係してるんだと思う。人魂や幽霊が最終的にどうなるのか、私は知らない」
 彼は、曖昧な返答に失望した反面、(具体的な答えではなくて良かった)とも思った。詳細に教えてもらったとしても、死後の世界や、意識の状態が禄でも無いものならば、残された人生を暗澹と過ごす羽目になってしまう。
「あのさ、化け物がその辺にいるなら危険じゃないの? 俺ら、襲われるんじゃ」
 「何だ、そんな事か」と言わんばかりに、早紀は答えた。
「超自然と関係ない事件・事故・災害の被害に遭う可能性の方が、遙かに高いと思うよ。実際、藤村君や周りの人も、これまで無事だったでしょ?」
 こう言われてしまえば反論しづらい。ただ、見込みだけで納得しようとする事に、和義は強い抵抗があった。(事故なんかは、事前に準備や情報収集、注意をしたりして、ある程度の対策が出来る。そういったものと、被害にあう確率が低いとはいえ、対処しようのない超常の驚異を比較したくない)と思うのだ。
(それとも、実行可能な化け物対策があって、除霊等の具体的な方法を教えてもらえるんだろうか?)

 

 

□十四話

 

 和義を置き去りにして、早紀の説明に熱が入っていく。
「でも化け物の中に一体、次元の違う存在がいる。霊能を持つ人間は、それぞれの思想や宗教観に基づいて、この存在を理解してるんだ。私達は、仲間内で神仏と呼んでる」
 早紀は語りだした。相手の反応について全く意識をせず、口調は更に熱を帯びていく。大声を出したり、早口で話す訳では無い。ただ、普段の喋り方が落ち着いている分、語調が少し強くなっただけで、印象はガラリと変わった。
 彼女の長々とした話を要約すると、以下のようになる。

 

 「絶対的な力をもった化け物が、人々に科学的・合理的な考え方を強要しており、その意に反したものを粛正している」というのだ。

 

(以上、狂人の妄想である)
 荒唐無稽な話を聞き続けた和義は、思わず心の中で茶化してしまった。一日前まで唯物論者だった人間には、到底受け入れ難い話だ。
 黙りこくった相手を見て、彼女は聞き入っていると勘違いした。そして、より詳細な説明を始めた。
 勘弁してくれよと内心でボヤきながら、彼はじっと我慢し続ける。
 曰く、ある化け物が近くの山に封印されている。その化け物は手下を介して、人間の肉体や魂、感情を食っている。手下ぐらいなら自分達の力でどうにでもなるが、一応は気を付けろ、という内容だった。
 話がこのあたりに差し掛かると、右の耳から左の耳で、彼はまともに聞く気が失せていた。
 この時、自分の置かれた状況をしっかりと把握しなかったため、和義は強く後悔する事になる。特に、「何かがとり憑いている」という話題については、耳を傾けるべきであった。
「正直言ってさ、漫画か何かの設定を聞いてるみたいだよ」
 我慢の限界に達した和義は、うんざりとした声で言う。しかし、石像のように固まる早紀を見て、「もっと、言い方に気をつければ良かった」とすぐに謝罪をした。

 

 

□十五話

 

 化け物云々という話をする雰囲気ではなくなり、二人は下校することにした。同じ帰り道を、途中まで連れ立って歩く。(小学生の頃は、たわい無い会話をしながら、こうして帰ったな)と、和義はたかが数年前の生活を懐かしんだ。
 記憶の中で、赤いランドセルが楽しそうに揺れる。その時も早紀は、オカルトめいた話をしていた。当時は、彼もその手の話題に抵抗が無く、喜んで付き合ったものだった。
 これまで彼は、彼女とあまり口を交わさなくなった理由について、性差を意識する様になったからだと考えてきた。だが今は、(渡瀬家に関する悪い噂の煽りを受けたく無い、という理由もあったんじゃないか)と思い始めている。
 早紀が学校でも陰口を叩かれていた事を、彼は知っていた。意識的にではなくても、無意識の内に避けてきた可能性はある。
 また先程の度を超えた説明は、昔を思い出して童心に帰ったのかもしれない。そんな風に考えていると、胸中に罪悪感が広がっていった。
 もう一度謝ろうかと思い、彼は少し前を歩いている早紀に目を向ける。彼女は、歩道の脇にいる犬の亡霊を見つめていた。それがふわふわと漂う鬼火に食らいつくと、直ぐ様走り去っていく。
 犬の亡霊が生前にどんな生き方をして、どんな死に様だったのかを、彼は想像した。そして、食われた霊魂のことも。
 更に数分ほど歩いた後、岐路で別れる事となった。
 早紀が振り返って、「さようなら」と挨拶をする。それに和義が「また明日」と返すと、彼女は懐かしい笑顔で笑った。

 

 

□十六話

 

 和義は、自宅の程近くに着いてから、ようやく隣家にいた化け物の存在を思い出した。何故、早紀に相談しなかったのかと悔む。このまま道なりに進めば、例の場所を通ってしまう。
 彼は、反対側の道路まで遠回りしようかどうかを迷ったが、達也に山田さんがどうこうのと笑われた事を思い出した。
 結局、平然とした顔で歩いていって、ヤバそうなら走り去ろうと腹を決めた。
 今朝方、化け物を確認した家が目前に迫る。すると、幼い子供の声が聞こえてきた。何か言葉を、一生懸命呟いている。
 「まだいた」と小さく呟き、和義は何気ない表情を装って進んだ。
 最初の内は、子供のいる方向を見ないよう意識していた。だが、どうしても我慢できずに、チラリと一瞬盗み見てしまう。
 縁側の上で、小さな男の子が遊んでいた。通りに背を向けて、玩具の車を手動で走らせている。まだ三、四歳くらいの幼児に見えた。
 視線を戻した彼の心中に、違和感が芽生えていた。頭髪が全く無い上に、普通の子供とは微妙に頭身が違う気がするのだ。しきりに同じ言葉を繰り返しているのも、少し気味が悪い。
「ぼくのすーぱーかーだ!! ぼくのすーぱーかーだ!!」
 全く同じ間隔・語調で、幼児が喋り続ける。1の英数字をなぞるように、玩具を延々と上下させた。俯いた幼児が遊びに耽っていたので、和義は思わずその光景を凝視してしまう。
「ぼくのすーぱーかーだ!! ぼくのすーぱーかーだ!! ぼくはこうやって、せいしんのばらんすをとっているんだ!! ぼくのすーぱーかーだ!! ぼくの…」
「なんだあれ」
 和義が呟いた刹那、幼児は急に振り向いた。
「なんだぁ、かずよしかぁ」
 そう言うと事も無げに視線を戻して、元の作業に没頭しようとする。
「ぼくのすーぱーかーだ!! ぼく…」
 しかし、もう一度彼の方を向くと、呆けたような顔で和義を見つめた。それから数秒間、お互いに硬直する。
 和義も和義で、目があった瞬間に逃げだそうという気が吹き飛んでいた。相手の顔を見ている内に、心の底から安心感が沸き上がってきたのだ。
 幼児の表情が、ゆっくりと驚きの色に染まっていく。やがて、口をだらしなく開けたまま尋ねた。
「おっ、おっ、お、おっ、お前っ!! おれが見えるのか!?」
「み、見えますよ!!」
 返事を聞いた途端、わあぁっと声を上げながら和義に向かって走り出す。フォームはヨチヨチ歩きに近かったが、尋常ではない速さだった。
 気持ち悪いものと接触しそうになり、和義は怖気立つ。
「かずよしが!! かずよしがみえたぁ!!」
 古い記憶が、逃げる必要はないと主張する。
 幼児は相好を崩して、和義の周りをピョンピョンと飛び跳ねた。
 それから騒ぎを聞きつけた老夫婦に止められるまで、心底嬉しそうに騒ぎ回っていたのだった。

 

 

□十七話

 

「はじめちゃんは、和義ちゃんが大好きだからねぇ」
 山田佐江子がそう言いながら、湯呑みを差し出す。
「あ、すみません」
 和義が山田家の居間に上り込んだのは、数年ぶりだった。
 隣近所とあって、相手の事はお互いによく知っていた。何しろ、和義がまだ赤ん坊の頃からの付き合いだ。
 はじめと呼ばれた幼児は、先程まで欣喜雀躍としていたのも嘘のように、寝っ転って漫画を読んでいた。そうかと思えば、和義の周りを訳もなくウロウロし始めたり、意味不明な発言を繰り返す。
 和義は、そうした反応に困りつつも、霊能に目覚めてからの経緯を説明した。
「でも驚きましたよ。二人とも霊感があるなんて」
「そうだねぇ、和義ちゃんは私達のこと、哀れな痴呆老人だと思っていたからねぇ」
「ハハッ、そんな、こと思って、ない、です、よぉ~」
「うふ、うふふっふ、フッ…」
「ははっ、は、ハハッ!!」
 実のところ和義は、老夫婦の事を哀れな痴呆老人だと思っていた。間抜けな顔の人形に四六時中話しかけて、「この人形には、意志がある」と言い張っていたからだ。
「そりゃあ、いつも、小汚い人形に話しかけてたらねぇ。アレはおかしいんだなって、思っちゃうよねぇ」
「だれが小汚いじゃ!!」
 佐江子の言葉に、はじめと呼ばれた幼児が抗議する。
 それまで遠巻きに見ていた山田平治が、はじめの頭を撫でながら言った。
「いつも、バァさんが話しかけてた人形あったろ? あれがコイツ」
「マジっすか」
 和義が知っている人形は、目の前にいる幼児よりも二回りほど小さかった。それに、はじめと呼ばれている幼児の体は肉感的に見えるので、とても人形には見えない。微妙におかしな頭身とスキンヘッド以外は、人間の子供と何ら変わりがなかった。
 はじめは、目がクリクリとして、純朴そうな顔立ちをしている。出会って間もない者からは、可愛らしいと思われる事の方が多いだろう。もっとも、愚かな発言をする度に、その好印象を減らしていくのが常なのだが。
「和義ちゃんは覚えて無いかもしれないねぇ、この子、あなたとよく遊んでいたのよ。ほら、保育園の頃」
「覚えてないなぁ」
 はじめが、愛らしく地団太を踏む。
「ひどいよ!! お兄さん!! よく思い出してよ!!」
 老夫婦が同時に、「お兄さんでいくんだね」「お兄さんでいくんだな」と呟く。
 和義は、保育園児の頃の記憶を探ってみた。早紀と、もう一人の子供と一緒に、よく遊んでいた覚えはある。ただ、記憶の所々が霞がかっているので、遊び相手がはじめだったかどうかは思い出せなかった。
(十年も前の話だ。記憶が曖昧なのは仕方ないか)
 そう思った瞬間に、疑問が生じた。
「この子、俺が保育園児の時に会ってたなら、結構歳いってるんじゃないですか?」
「あ」
 はじめが、思わず声を漏らす。
 平治がプッと吹き出した。佐江子も、ニヤニヤ笑いながらはじめを見ている。
「いやいや、和義ちゃんは、はじめちゃんにとって お に い さ ん だもんね?」
 はじめは、可愛らしい表情を作ったまま、ぷぅっと頬を膨らませた。目の奥に、反抗的な光が生まれている。だが、一度佐江子に睨まれると、体を少し振るわせて俯いた。
 それから怯えてしまった事を誤魔化そうと、和義に詰め寄る。
「き、気にしなくていいから!! お年玉とか、誕生日プレゼントとか、くれればいいんだよ!!」
 何故かタカり始めた人形を無視して、帰ることにする。
「あっ、俺もう帰ります。お茶ありがとうございました」
「別にいいよ~、出涸らし茶だからねぇ」
 このクソババアがと、心の中で毒づきながら玄関に向かうと、はじめが見送りにきた。
「気をつけて帰れよ~」
「家、すぐ隣だけどね。さよなら」
 和義は、一度はじめに背を向けた後で、照れ臭そうに振り返った。
「また宜しく」
「おう」

 

 門柱を過ぎたあたりで、裏返った老人の声が耳に届いた。話し声から察するに、平治がまだ沸いていない風呂に入ってしまい、全身に水を浴びてしまったようだ。はじめと佐江子の声も加わり、騒ぎはどんどん大きくなっていく。
 振り返った和義は、賑やかな家だなと言いながら微笑んだ。

 

 

□十八話

 

 陽も完全に沈んで夜の闇が深まった頃、和義は両親と共に食卓を囲んでいた。父親が残業で遅くならなければ、決まった時間に家族全員で夕食を取るのが暗黙の了解だ。
 和義を除いた藤村家の家族構成は、サラリーマンの父・康行に、専業主婦の母・恭子だけだ。去年まで彼の姉も同居していたが、今は嫁いで隣街に住んでいる。
 何気ない態度を装って、和義は話を振った。
「早紀は、最近、ウチに来てるの?」
「何よ、いきなり。そういえば、ここ最近は来ないわね。山田さんの家には行ってるみたいだけど。アンタ、今度早紀ちゃんと会ったら、ウチに遊びに来なさいって、言っといてよ」
「あの子の家も色々あるからなぁ。何か困ってるようだったら、助けてあげなさい」
 康行も少女の家庭環境に思うところがあるのか、時折こういった発言をする。
 「ああ」と返事をして、和義はテレビに目を向けた。
 恭子と早紀の母・真奈美は、親しい友人だった。真奈美が健在の頃は、早紀を連れて藤村家にもよく来ていた。
 彼が口を閉ざした後も、「近所の誰々さんの息子は、どこどこの塾に通っているから、お前もどうだ?」というような、恭子の説教めいた話が続く。これは、相手が聞いている・いないに拘わらず延々と続く。
 和義は、いつもの独演会を、いつもの生返事で聞き流した。
「アンタ、そういえば、佐江子さんに聞いたわよ。最近、早紀ちゃんを、追いかけ回してるんだって?」
 あのクサレババアがと、和義は心の中で吐き捨てた。佐江子のニヤついた顔が、目に浮かぶ。
 康行まで、「そうなのか?」と乗ってくる。両親が急にニヤニヤし出したので、息子はその場に居辛くなり、自分の部屋に戻ろうとした。
 階段を上がろうとする彼の耳に、ヒソヒソ話が聞こえてくる。「だから唐突に、早紀ちゃんの話題を出したのね」とか、「あいつは、本当に単純だな」と。
 和義が自室に入ろうと扉を開けた時、「洗濯物出しときなさい」という声が階下から響いた。「分かった」という返事が聞き取れなかったのか、恭子はもう一度大声を上げる。
「女の尻を追いかける前に、洗濯物を出しなさい!!」
 この日から一週間ほど、「女の尻を追いかける前に、~しなさい」という言い回しが、康行と恭子の間で大ブームとなった。

 

 

□十九話

 

 宿題を終えると、和義は心霊現象への対処方法をネット上に求めた。だが、三十分と経たずにフリックする指が止まり、スマートフォンの画面から目を離してしまう。
 前日にも霊障対策を調べていたが、半ば恐慌状態に陥っていたため、内容を殆ど覚えていない。何とか落ち着きを取り戻したので調べ直したものの、成果は得られなかった。
 心霊に関する情報を載せたサイトは、数え切れないほどある。彼は閲覧数の多いサイトから探ってみたのだが、各サイトごとに対処法が全く異なっていた。そもそも、化け物や霊などの定義自体が、編集した人間によって違うのだ。
(適当に思いついた方法を、効果があると言い張っているだけじゃないのか?)
 彼には、こう思えてならない。サイトには、参考にした資料や条件・試行回数等はあまり書かれておらず、自己申告の超常体験──自分が、如何に特別な存在かを示すための文章──が長々と書かれている。
 うんざりとした和義は、スマートフォンをベッドの上に放った。それから、マグカップを持って立ち上がり、窓際に近づていく。自分が絵になると思うポーズを取り、ブラックコーヒーを──苦さに慣れていないため──少しずつ口にした。
 そんな、誰も見ていないのに格好つけている痛々しい少年が、家の外から妖しい気配を感じ取った。

 

 庭を見下ろせば、自宅の門柱に体の半身を押しつけている老婆がいた。相手は人外だと、感覚的に分かる。
 和義は、(実際に化け物と対峙したら、自分はどんな反応をするんだろう)と、ホラー映画を見ながら考えた事があった。想像の中での自分は、恐怖を振り払い勇敢に立ち回っていた。
 しかし現実世界での彼は、激しい動悸と共に情けなく膝を震わせている。
 ネット上の自称霊能者達を恨みながら、どうすべきかを考えた。一階には彼の両親がいて、しかも化け物を認識できない。
(あれが家に侵入して、父さんと母さんを襲ったら…)
 そう思うと、強い焦燥感に駆られる。
 まず達也に電話しようと決めた瞬間、老婆が顔を上げ始めた。彼は、相手の視線から逃れたかったが、何故か目を逸らす事が出来なかった。
 ゆっくり、ゆっくりと、焦らすように面が上げられていく。
 ついに目が合った。能面のような顔つき、光を全く反射しない虚ろな瞳。無表情の顔からは、何も感情を読みとれない。だからこそ理解し難い恐怖が、彼を襲った。喉元までせり上がってきた叫び声を無理矢理飲み込み、一言だけをどうにか絞り出す。
「ばぁ、ちゃん?」
 そう呟いた刹那、老婆は姿を消してしまった。その化け物は、三年前に亡くなった父方の祖母、藤村知子の姿形をしていた。
 老婆がいた辺りに視線を彷徨わせながら、和義は呆然とする。暫くの間そうしていると、複雑な感情が芽生えているのに気づいた。死んだ祖母が、可愛がっていた孫の前に突然現れて、何も言わずに去ってしまう。
 「祖母とは良好な関係を築いていた」というのが、彼の認識だった。少なくとも嫌われてはいなかっただろう、と思っていたのだ。そうだとすれば、つい先程の態度は解せない。
 生前の祖母と今し方現れた亡霊は、姿形が同じでも別の存在としか思えなかった。
(道端の石ころでも見つめていたら、あんな顔になるのだろう)
 そう思えるような面持ちで、彼を見つめていたのだから。
 床についた後も、もしかして自分は疎まれていたのではないかと思ったり、その考えを否定したりして悶々と考え込んだ。
 また、霊能を得る前と得た後とのギャップを再認識した事も、中々寝付けない原因の一つだった。これまで非現実的だと思っていた出来事が、ひっくり返って現実的な出来事となってしまった。その現実を全て受け入れようとすると、強い拒否反応が起こってしまう。
 浅く寝ては、直ぐに起きる。彼は、その反復を深夜まで繰り返すうちに、何とか眠りについた。

 

 

□二十話

 

──巨大な井戸の中を、落ち続けているようだ…──
 和義は、そう思った。上方にある微かな光源が、段々と小さくなっていく。やがて、その頼りない目印すらも消えて無くなり、全ては漆黒となった。
 暗闇に支配された空間を落ち続ける。──何物かの体内に入り込んだのだ──と、彼は夢想した。
 下から、声が聞こえた。意識もまともに定まらない状態で耳を傾ける内に、ようやく自分が陥った状況について疑問を持つ。周囲を見渡しても、闇以外は何も無い。自分の体さえも無いことに気づく。少し頭がぼうっとする。
 ──これは、夢だ──そう思ったところで、井戸の底に気配を感じ取った。一軒家の敷地くらいある底面の一部が、スポットライトで照らされたように光っている。視界がぼやけて分かりづらいが、光の中に二つの存在を確認した。彼らに注意を向けると、視界が多少鮮明になる。
 ──自分がいた。いや、自分を見下ろせる筈は無いので、別人だ──と彼は思う。──真っ黒な人間が、その男と向かい合っている。いや、人間ではなく化け物だ──と、またもや思い直した。うまく思考がまとまらない。
 黒い化け物からは、異様な存在感が滲み出ていた。この井戸のような空間に溜まった闇は、虚ろで静寂に満ちたものだ。しかし化け物の体から燃え立つ闇は、激情を隠そうともせずに、荒々しく靡いている。炎の僅かな範囲に入り交じった多くの色や、照らされた光がなくとも、二つの闇の見分けはついただろう。
 体中からどす黒い怨念が炎のように吹き出し、金色の瞳がある左の瞼だけを見開いていた。火先の一つ一つに、別個の気配が宿っている。彼は、それを眺めているうちに、炎は黒い人魂が寄り集まったものだと分かった。その数は、十や二十では無い。
 彼は、その化け物を只々恐ろしいと感じて、そんな存在と平気な顔で対峙する自分の生き写しも、化け物のようなものだと思った。
──羽虫が耳元を掠める音に、時折金属音を加えれば、このように聞こえるのではないか?──
 それが、黒い化け物の声を聞いた感想だった。
 そいつは、さも当たり前のように出鱈目な言葉を吐き続けていた。不快な喋り声が、段々と肉声に近づいていく。人の真似をしているつもりらしい。
 和義に似た男は、相手の滅茶苦茶な言葉使いを意に介さず、当然のように会話し始めた。何を言っているのか、彼には分かるのだ。
 「再生」だの「毒」だのといった、断片的な言葉だけしか、和義には聞きとれない。──もう少し近づけば、聞こえやすくなるだろうか──と思い、和義は更に下へと落ちていく。化け物の視界に入らないよう注意しながら、自分そっくりな男の数メートル上で止まった。
 会話が、少し間途切れた。
 もう一人の自分が、唐突に仰いだ。悪魔的な笑顔を張り付かせた顔と、向かい合う。
 驚きや恐怖の感情が生まれる前に、ある筈のない頭部が掴まれた。僅かに見上げれば、黒い化け物が彼を見つめていた。金色の目が、視界の殆どを占めるくらい間近から、和義の意識を覗き込んでいる。
 満月のような瞳を眺めていると、化け物が淀みなく言った。

 

「お前に決めた」

 

 

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